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どんなもしもが 君の未来に わりこんでも かまわないさ 僕はずっと 味方さ
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同じカリキュラムで同じように教えても、子どもの成長度は違ってくる。
それを「頭の良し悪し」だと一般的には言われるが、子どもたちを見ている限り、そうとは言い切れないと思う。
 
なぜなら、同じ子どもでも、その時の意識の仕方によって、吸収力が違ってくるからだ。
「何を意識して学んでいるか」
そこに大きな差が生まれると私は感じている。
 
イチローはこう言っている。
“同じ練習をしていても、何を感じながらやっているかで、ぜんぜん結果は違ってくるわけです。”
 
野球も学習もトレーニングの質においては同じ。
 
例えば、先生が板書したことをノートに取るときに、
「丁寧にきれいに書き写すこと」を意識しているのと
「これはこれこれこうだから、こうなるんだな」と意識しているのとでは、
大きな差が出るのは当然だろう。
 
これは、決して「頭の良し悪し」ではない。
「何を意識して、何を感じながら学んでいるか」の違いだ。
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“Where there is a will, there is a way.”
(意志あるところに道はある)
 
女子プロゴルファーの宮里藍も座右の銘にしているというこの言葉。
私も、お気に入りのスーツのネームに入れているほど好き。
 
受験を控えた生徒が、志望校をA校にしようにB校にしようか迷っている。
教室ではよくある風景。
そんな時、私は彼/彼女の「意志」を聞くようにしている。
 
私「いけるかどうかは横に置いといて、あなたは本当はどこに行きたいの?」
生徒「…。A校」
私「うん、A校にいきたいんだね」
生「だって、○○だし、××だし、△△だってできるんだもん」
私「そうか、○○だし、××だし、△△だってできるからA校にいきたいんだ」
 
 
行きたい学校ではなく、行ける学校を初めから考える人がいる。
 
子どもの場合は、
「行ける学校でいい」。
 
保護者の場合は、
「そんな夢みたいなことをいっていないで、現実を見なさい。
行きたいといっても行けなければ意味がないでしょう。いける場所を考えなさい」。
 
残念なことに、たまに(しばしば?)こういうケースに出会う。
この意見は間違いではない、と思う。
切羽詰った状態では、経済的なこともあるし、
自分の現在のレベルを考えて、妥当な場所を探すことが
ベターかもしれない場合があるからだ。
 
ただ、はじめから「行ける場所」を探した場合、
そこへ合格するのにも大変になることがある。
なぜなら、そこには「意志」がないから。
 
「行きたい」という意志がないのに、なぜそこに行くための勉強をしなければならないのか?
子どもがそう感じた時、子どものもてるチカラを引き伸ばすのは難しい。
 
だから、はじめは「行きたいところ」を聞く。
そして、そこへ「行きたい理由」や
目標達成できた時の「気持ち」や「イメージ」などを聞くようにしている。
 
「君がそこへ行きたい理由は何?」
「合格したら何をしたい?」
「合格できたらどんな気持ち?」
「合格した時の周りの反応は?」
「自分の中の何が成長している?」etc.
 
“Where there is a will, there is a way.”
(意志あるところに道はある)
「人間は、自分の聞きたいように聞き、見たいように見る」
 
友達や家族など人間関係で、誤解をしてしまったり、誤解されたりすることがある。
誤解をしないように、誤解をされないように努めることは大切なこと。
けれど、誤解が生まれるのは、ある程度仕方のないこと。
 
だって、人間は、自分の聞きたいように聞き、見たいように見ているんだもの。
 
話を聞くのは耳ではない。
話を聞くのは脳なんだ。
 
モノを見るのは目ではない。
モノを見るのは脳なんだ。
 
だから、人間は、自分の聞きたいように聞くし、見たいように見ている。
だから、誤解が生まれてしまう。
ちょっと悲しいけれど、それは、ある程度仕方のないこと。
 
誤解をしたり、誤解されたりしたら、
その誤解を解くようにすればいい。
誤解した人を、それが自分だろうが相手だろうがその人を、
非難しても始まらない。
 
だって、人間は、自分の聞きたいように聞き、見たいように見ているんだもの。
 
Bygones let be bygones.
前向きに!
♪どんなもしもが 君の未来に
わりこんでも かまわないさ
僕はずっと味方さ
CHAGE & ASKA、ifより)
 
 
「子どもの味方」であること。
私たち大人が、こんな姿勢で子どもに接することができれば、
子どもたちが、伸び伸び育つような気がする。
子どもも大人も、活き活き生活しているような気がする。
日本の教育現場で抱えている、多くの問題が解決しそうな気がする。
 
 
私は仕事で、多くの子どもたちと接する。
子どもたちと接していると思う。
 
「彼らは無限の可能性を秘めている」
「本当に素晴らしい可能性を秘めている」と。
 
若さは、それ自体が可能性だ。
それゆえ、子どもは可能性の塊。
まだ磨かれていない原石。
 
だから、迷うこともある。
だから、荒削りなこともある。
だから、失敗することもある。
だから、反抗することもある。
だから、甘えることもある。
 
そんなことは当然さ。
可能性の塊だもの。
 
迷うのは、選択できる可能性がたくさんあるから。
荒削りなのは、自分を磨いている最中だから。
失敗するのは、学び・成長するための通過点だから。
反抗するのは、いろいろ試している最中だから。
甘えるのは、自分を磨くための、心のエネルギーを充電しているから。
 
 
そんなことを自分に言い聞かせながら、毎日子どもたちと奮闘中!
常に、子どもの味方であることって、結構難しいのです(^^;
気づかぬうちに、「大人の見方」で、「大人の理由」を押し付けてしまうことがあるんですね。
(以前よりはマシになっていますが、まだまだ修行が足りませぬ!)
 
そんなこんなで、常に「子どもの味方」でいられるように、
教育の現場で感じたこと、考えたこと、
子どもたちに伝えたいこと、などを
ブログに書き綴っていくことにしました。
 
また、教育現場で培ってきた私の「子どもの見方」も書いていこうと思います。
見方・観方・視方・診方・看方。
いろいろありますね (^^;
 
 
徒然なるままに。
前向きに。


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