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どんなもしもが 君の未来に わりこんでも かまわないさ 僕はずっと 味方さ
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ある医学生と話をしていた時のこと。
「この間、気がついたら1日20時間勉強していました」

これだけでびっくり仰天。
畏れと興味から聞いてみました。
「え、するとテスト期間の1日平均学習時間はどれくらいなの?」
「18時間くらいかなぁ~」

さらっと言うけれど、こちらはショック。。。
そして、これが約1カ月間続くそうです。
もちろん、そこまで勉強をしているわけではない医学生も、
周りにはたくさんいるそうです。

そこで彼女に聞いてみました。
「そこまで勉強するように自分を駆り立てている原動力って何ですか?」

彼女いわく。「留年したくない!」ことが原動力になるそうです。
その背景には、「高い授業料を払ってもらっている」という
両親への感謝の気持ちなどが大きく横たわっているように聞こえました。


そんな彼女は、毎日日記を書いているそうです。
短ければ5分、長ければ1時間以上時間をとり、自分と向き合うそうです。

どんなに忙しくても、自分と向き合う時間をきちんと取る人は、
自分というものをよく知っていて、
自分の人生の手綱さばきが比較的上手なように、私には見えます。
どうすれば、自分のエネルギーをうまく活用できるのか、
どんなときに、自分の心のブレーキがかかるのか、
どうすれば、それをはずせるのか、
どうすれば、バランスを崩さずにいられるのか、
といった自分の動かし方をよく知っているからでしょう。

また、自分と向き合うことを実行している人は、
「心」が「亡」くなるという「忙」しい状態にはなりにくいようです。
自分の好きなこと、やりたいこと、
大切にしていること、絶対にしたくないこと、
などの価値観をよく知っているからでしょう。
毎日リセットをすることで、混乱が起きにくいことも要因かもしれません。


あらためて、自分と向き合う時間をとることの大切さを学びました。
自分自身に適用することはもちろん、
子どもたちに自分と向き合う場やきっかけを提供したいと思いました。
まずは、「今日はどんな一日だった?」と聞くことから始めてみます。

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前回までに大人の対応として、「反論」「同意」「共感」についてお話してきました。
(まだ読まれていない方はこちらへ → 大人のタイオウ①
その続き(まとめ)です。
 
「同意」と「共感」の違いは、
「同意」が、「そうだよね」と相手の主張を「受け入れる」のに対し、
「共感」は、「そうなんだ~」とそのまま「受け止める」ことにあります。
 
相手の主張に対して「同意」できるときは「同意」すれば良いのですが、
「同意」しかねるときに無理に「同意」すると、そのぎこちなさが伝わります。
 
そこで、「同意」ではなく「共感」すると上手くいきやすいと思うのです。
なぜなら、「受け入れる」ことをしなくても、「受け止める」ことによって、
「あなたの言いたいことや感情をキャッチしましたよ」
というメッセージを送ることができるからです。
これは、相手の存在を「認める」行為の一つです。
 
野球のバッテリーで、「キャッチャーがピッチャーを育てる」という話を聞きます。
名キャッチャーと呼ばれる人が
「ナイスボール!」と気持ちよくボールを「受け止める」ことで、
ピッチャーが伸び伸びと育つというのです。
 
コミュニケーションもキャッチボールです。
受け手の対応によって、話し手の成長に影響を与えます。
そして、一般的には「共感」>「同意」>「反論」の順で、
話し手の、特に子どもの成長を促すと思います。
 
子どもたちの成長を促進できるような
名キャッチャーでありたいものです(^^)v
前回までに大人の対応として、「反論」「同意」についてお話してきました。
(まだ読まれていない方はこちらへ → 大人のタイオウ①
 
それでは、「共感」の対応をした場合はどうなるでしょう?
 
例えば、こんな会話になることがあります。
 
子:「宿題できなかった…。だってさ、忙しかったんだもん」
先生:「そうなんだ~。(^^)ニコニコ」
子:「そうなの。忙しかったの。だってね、~で、~で、~だったんだ。
それでね、~もあってね、…。」
先生:「そうなんだ~、Aさんにとっては忙しいと感じたんだ~(^^)ニコニコ」
子:「うん。…。でももう少し時間をうまく使えたら、少しは宿題をできたかもしれない」
 
こんなに上手くいかないかもしれませんが、
「そうなんだ~」と共感することで、
子どもは受け止めてもらえたという安心感を得、
段々と感情が落ち着いてくる傾向があります。
そして、自分が言い訳をしているとわかっている人は、
感情が落ち着くと、自分を客観的に見つめることができるようになり、
建設的な話になりやすいと思うのです。
 
もちろん、自分から答えを出すにはまだ一歩踏み出せない人もいます。
そんな時には、こんな質問を投げかけて一歩後押しをするのもいいでしょう。
「ところで○○さんは、本当はどうしたいと思っているの?」
「もし、百歩譲って宿題をできる時間があるとしたら、どの時間を活用する?」
 
あるいは、1週間の時間の使い方を書き出すのも一つの手です。
そうすると、頭の中ではなく目の前の紙の上で思考できるので、
客観的にみることができるようになり、建設的な話がしやすくなるからです。
 
前回、人は反論されると反論したくなる習性を持っているという話をしました。
例えばこんな風に。
 
子:「宿題できなかった…。だってさ、忙しかったんだもん」
先生:「でもね、時間はつくるものだよ。全くできないことはないでしょう?!」
子:「でも!~だったんだもん!」
 
「~」の部分には、よく言い訳が入ったりしますね(^^;
それでも、言い訳とわかっていても、反論されると反論したくなるようです。
 
では、上のケースでは「反論」ではなく、どんな対応をとるとよいのでしょうか?
 
 
こんな時は、「反論」ではなく、「同意」や「共感」という対応を示すことで、
子どもの反応が変わることがあります。
 
例えば、「同意」の場合はこんな会話になることがあります。
 
子:「宿題できなかった…。だってさ、忙しかったんだもん」
先生:「そうだよね。忙しかったんだもんね。宿題をやる時間はなかなかないよね」子:「うん、そうなんだ!あれがこうでさ、これがあぁでさ、…」
 
この場合いかがでしょう?
「でもね」と反論されずに、「そうだよね」と同意しているので、
子どもの立場からすると、受け止めてもらえた感があるようです。
 
けれど、これだと不安な面もあります。
本当は時間をつくれば宿題をやれたのだけれど、同意されたことで、
「やれなくていいんだ」という妙な安心感(≒怠慢)が生まれてくるかもしれません。
 
一方、宿題をさぼった自分を自覚している子どもの中には、
「同意」されると自分の中にギャップ(むずがゆさ)を感じ、
「次はきちんと宿題をやろう」と一歩前進する子もいることでしょう。
受け止め方によりますが、確率としては、「反論」より「同意」の方がうまくいきそうです。
 
 
それでは、「共感」の対応をした場合はどうなるでしょう?
前回「大人のシュクダイ②」の続きです。
(この話のトップは「大人のシュクダイ①」からどうぞ)
 
宿題の『銀魂』読み忘れてしまった大人の私。
しかし、ことはこれでは終わりません。
 
中1の彼女に、
「なんで1週間もあるのに読めないの!」
と責められた私は、
もっと恥ずかしことに、こう切り返したのです。
 
「いやぁ、この時期はちょっと忙しいんだよ。
毎日14時間土日なしで働いているんだから」
 
それに反論され、その反論にまた反論し、
言いながら気がついたことには、
「(あ、言い訳している)」(^^;
 
宿題をやってこなかった挙句、やれなかった言い訳をしてしまった大人(大恥)
いえ、「やれなかった」ではなく、「やらなかった」ですね(^^;
宿題をやってこなかった子どもの心境が手を取るようにわかりました。
 
 
ちなみに、人は反論されると反論したくなる習性を持っているようです。
例えばこんな風に。
 
子:「宿題できなかった…。だってさ、忙しかったんだもん」
先生:「でもね、時間はつくるものだよ。全くできないことはないでしょう?!」
 
そう対応されるとどんな気持ちがしますか?
 
子:「でも!~だったんだもん!」
と言い返したくなりませんか?
中には、素直に聞き入れることができる人もいるでしょうが、
私は反論してしまいました。  (^▽^)学び!
たとえ相手の言っていることが正しくても、たとえ反論せずに黙ったとしても、
反論されると反論したくなる気持ちが心にわいてくるのは、
大人も子供も同じく、人間の性ではないでしょうか。
 
 
では、上のケースでは「反論」ではなく、どんな対応をとるとよいのでしょうか?
これまた、次回へつづく


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