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どんなもしもが 君の未来に わりこんでも かまわないさ 僕はずっと 味方さ
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塾の面談でよくある話を一つ。

―――――――――

体験授業を希望している母子が学習塾の面談にやって来た。
前回の定期テストで残念な結果だったため、
子どもが今まで嫌がっていた塾に行くと言い出したらしい。
母親は「本人のやる気次第」と言っている。
 
個別指導塾では、体験授業を受ける前に詳しい学習状況を聞く。
「個別」なのだから、子どもの学習状況や家庭の方針など聞いておかないと、
きちんとした体験授業にならないからだ。
そのため、面談では様々なことを聞いていく。
通塾経験から始まり、希望する講師のタイプ、普段の家庭学習の様子、
テスト前の様子、学校の授業の様子、部活動や習い事、
志望校や将来の夢・目標、教育方針、塾への要望、etc.
もちろん、最近のテストの結果や評定なども聞ける範囲で聞いていく。
体験授業をする科目については、苦手な単元やつまずいた時期、
その原因、体験授業で取り組みたい単元なども聞いていく。
 
話題が記憶の話に入った。
子どもが「暗記は苦手。なかなか覚えられない」と言うと、
今まで子どもに話をさせていた母親が、少し不安な面持ちで話しだした。
 
「書いて覚えようとしないんです。
ただ見ているだけで書かないんです」
 
多少のいらだち、焦りも見受けられる。
 
「書かないと覚えられないですよね。
なのに全然書こうとしないんです。
だから覚えられないんです」
 
母親は訴えるように話した。必死さも伝わってくる。
そして母親は最後にこう付け加えた。
「もう少しやる気を出して書けばいいのですが」
 
「!!!」
記憶の問題がやる気の問題にすり替わった。
隣に座っている子どもに目をやる。
 
子どもは横目でチラッと保護者を見やり、目を伏せ、口を膨らませた。
何か言いたげだ。
 
ここは、話を元に戻そう。
母親に「書いて覚えようとしないんですね」と返してから、子どもに向かって聞いてみる。
「お母さんはこう言っているけれど、
●●さん/くん、書くのは好き?それともあまり好きじゃない方?」
「嫌いじゃないけれど、面倒くさい」
「面倒くさい」とオウム返しながら軽くうなずく。
「だって、書いても覚えられないんだもん」
「うん、書いても覚えられないんだ」
 
子どもと母親ののを一拍ずつ見てから私はいつもの話を話し始めた。
 
「あまり知られていないのですが、覚え方には人それぞれタイプがあるそうなんです。
 例えば、書いて覚える人もいれば、見るだけで覚える人もいますし、
 あるいは聞いて覚える人もいれば、カードなどを触ると覚える人もいるんですね。
 その中だと、●●さん/くんは、どうやって覚えるタイプだと思う?書く?見る?聴く?触る?」
 
子どもはちょっと考えてから答えた。
「聴く、かな。聴くと覚えると思う」
「聴くと覚える」とオウム返し。
「うん、触るって何ですか?」
「触るっていうのは、単語カードなどをこうやってめくっていくと覚えるんだって。
カードで覚えようとした経験はある?」
「やったことはないけれど、書くよりはいいかも」
「うん、書くよりはよさそうだね。今までの話を聞いていると、
提出物もノートに書く物はあまり出していないようだけれど、
作品などを作る提出物はちゃんと出しているんだよね。
理科も実験をやるのは好きだというし、
部活で体を動かすのも好きだというのも、体感覚といって、触って覚えるタイプに多いんだ。
もしかしたら、触って覚えるのも得意かもね」
 
母も子も、真剣に聞いている。子どもの表情に笑顔が戻った。
母親は感心したように言った。
「覚え方にもいろんなタイプがあるんですね」
先ほど感じた、焦りやいら立ちは見られない。一安心。
 
話は進み、英語の体験授業では、なかなか覚えられないという単語を
カードを使って覚える体験もしてみることになった。
「聴いて覚える」タイプでもあるようなので、
音読しながらカードをめくって覚えるのが効果的だろう。
 
――――――――――
 
この話はよくある話を思い出しながら書いたフィクションです。
しかし、読み返すと結構リアルです(^^;
 
実際、私も昔は書いて覚えるように指導していました。
しかし、どうしても書こうとしない子に出会ったのです。
社会の宿題で用語をほとんど覚えてこなかったので、
授業中に書いて覚える時間をとったのですが、なかなか書こうとしません。
隣に私が座っているのにもかかわらず。
そこでその子をよく観察してみてたのですが、色々な物に触ることに気がつきました。
もしかしたら「触って覚える」タイプかなと思って、カードを使ってみました。
するとどうでしょう。
ものすごい速さで集中して覚えていくのです。
私が書いて覚えるよりも早く、カードで覚えるのです。
 
その子に合った学習法を取り入れるだけで、こんなにも差が出るものなのか。
当時は、すごい衝撃を受けました。
 
今では、一人ひとりのタイプに応じて様々な学習法を取り入れています。
特に「書いて覚える」のが苦手で「触って覚える」タイプの子には、
さまざまな工夫が必要です。
なぜなら一般的に学校では「書く」場面が多く、
「触る」場面は学年が上がるにつれて減ってくるからです。
そして、最終的にテストでは「書く」ことを求められますから。
 
それでも、練習すれば感覚も変わってきますので「触って覚える」方もご安心を。
左利きの子に、利き腕を伸ばしつつ、右手も使えるように練習することはできるのです。
それが良いか悪いかは横に置いておいて。

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受験マラソンをがんばって走っている子供たちを見ていて、
昨年から自分もマラソンに挑戦することにしました。
マラソンは、それを通して多くのことを学ばせてくれます。
コーチとしても、教育に携わる者としても、大きな成長を促してくれます。
マラソンの経験を活かした小話を少し紹介します。


●自分に負けた日
「寒いし眠いし、体もだるいから今日はいいか」
そうやって朝起きられなかった弱い自分を何度も経験しました。
子どもたちが、勉強をやろうと思ってもできなかったときの気持ちを
心の底から共感できるようになりました。
「そういう時もあるよね。大人になってもあるもの。
だからこそ、そういう弱い自分と向き合って、
少しでも自分に克てるようにしていく姿勢が大事だと思うんだ。
こういうところに、勉強や受験の価値があると思う」
子どもたちは、真剣に聞いてくれます。


●「できない」理由ではなく、「できる」理由を考える
「もう無理だと思ったよ。フルマラソン走った後に、その先さらに30km走るなんて」
2度目のフルマラソンのレース後、身体はボロボロでした。帰りの電車は爆睡。
その3週間後に70kmのレースが控えていました。
そんなときに頭をよぎったのは、「できない」理由、「やらない」理由。
「3週間後にプラス30kmだなんてとても無理だよ」
「どうせ無理ならレースに出なくてもいいんじゃない。
レース会場のまでの旅費だってばかにならないし」

そんな自分に気がついて、「できない」理由・「やらない」理由ではなく、
「できる」理由・「やる」理由を考えるようにしました。
「超回復を活かせば、もっと走れるようになる」
「最終的にゴールできるかどうかは分からないけれど、スタートに立つことはできる」
そうしたら70kmのレースを完踏できました。

「もしあの時、できない理由を考え続けていたら、ゴールできなかったと思うんだ。
恐らく、スタート地点にも立っていないだろうから」
この話をすると、後ろ向きだった子供たちも真剣に話を聞いてくれます。
少しは前向きになれるようです。


●自分のペースで!
「受験まで時間がないので、数学をどうすればいいのか分からなくなってきました」
高3生の相談を受けました。
入試本番まであと3カ月なのに思うように成長していない自分に焦っていました。
時間がないから効率を求める。けれど、効果のほどが顕れていない。
自分のペースを崩しかけている彼に、レースの話をしました。

「先日、初めてウルトラマラソン(100km)にチャレンジしてきたんだ。
そこで大事だなと思ったのが、自分のペース。
レースの初め山を登るのだけれど、みんな走っている中で一人だけ歩いて登ったんだ。
後半の体力が心配だったから、体力に余裕を持てるように。
歩いているときはみんなに抜かれるのだけれど、
平地になって走り始めると、疲れていないからみんなを抜かすんだ。
そうして自分のペースで進んでいくと、結局走っている人と同じくらいのペースなんだ。
けれど、頂上に着いた時の体力は、走って登った人たちより余裕なんだよね。
おかげでレース後半も体力がもって、目標より早くゴールできたんだ」

「みんなが走っているから自分も走るのではなく、
自分の目標に向かって必要なことをやればいい。
自分のペースを崩したら、目標までたどり着けないかもしれない。
だから自分のペースで進もう。
効果が出ていないと言っていたけれど、
今まで効果が上がっていたときの学習方法はどんな方法?」

そうすると、彼は自分にあった学習法を思い出し、
自分の本来のペースを取り戻したようでした。


マラソンは、自分と向き合い、自分にチャレンジする場を与えてくれます。
受験マラソンに励んでいる子どもたちがいる限り、やめられそうにありません☆
 

2週間前になりますが、今月は母の日がありました。
今年、私の働いている学習塾の教室では、「母の日カード」を贈ることにしました。
通っている生徒全員に、「母の日カード」にコメントを書いてもらい、
母の日直前に郵送したのです。

なぜ「母の日カード」に取り組んだかというと、
少しでもお母さんに喜んでほしかったからです。
お母さんが喜ぶと、子どもも喜びます。
お母さんが笑うと、子どもも笑顔になります。

もし、毎日のようにガミガミ怒っているお母さんがいるとして、
子どもは毎日「うるさいなぁ」と思っていたとして、
それでも「母の日カード」を受け取ったその日くらいは、
お母さんの顔に笑顔がよみがえる。
少なくとも眉間のしわが減る(^^)v
それだけでもいいと思ったのです。


「母の日カード」を送った後に子どもたち数人に聞いてみました。
「お母さんはどんな反応だった?」
すると、中・高生に多かったのが、
「何も言っていなかった」
という反応。
子どもも書く時に恥ずかしがっていましたが、
親も恥ずかしくて何も言えなかったのかもしれません。

中には
「壁に貼って飾ってあります♪」
というお母さんもいました。
同封した手紙と言葉も気に入ってもらえたようで、
お電話で「ありがとう」をいただきました!
「女」性が「喜」ぶと「嬉」しいですね(^^)v


「母の日カード」の効果は、お母さんの眉間のしわを減らし、
笑いじわを増やすこと以外にも効果があるようです。

ある小学生低学年の子は、カードを書いているそばから、
みるみる嬉しそうな顔になりました。
きゃっきゃっと軽く飛び跳ねるようにしてカードを見せに来たその子は、
お母さんが迎えに来ると、すぐさまカードを持って行き、
早速お母さんに見せていました。
(おーい、母の日はまだだよー^^;)

お母さんに対してありがとうの気持ち、
一緒に共有した、嬉しかったこと・楽しかったことを伝えるだけで、
こんなにも子どもの自己肯定感が上がるものなのか。

母親の偉大さ、存在の大切さを改めて学ばされました。

照れくさくてもいい、きれいな言葉でなくてもいい、
毎年、母の日くらいは伝えていきたいと思います。
お母さん、いつもありがとう!
 

今日は、ある中学生のスピーチを紹介します。

テーマは、コミュニケーション力をつけるのに大切だと思うこと。

2分程度のスピーチですが、その中に、とても大切な要素が入っていて、

「中学生でここまで考えるんだ」と驚きと感動がありました。

(↑ということは、上から目線で子ども扱いしていたということです。反省(^^;)

 

――――ここからスピーチ――――

私は携帯を持っています。

携帯はとても便利で、伝えたいことをすぐに相手のもとへ「メール」という形で伝えることができます。

今では「絵文字」などもあり、とても便利です。

しかし、私は便利なメールでとても困ってしまった経験があります。

 

ある日、いつもの様に友達とメールをしていると、

メールをする相手が少し多くなったので、絵文字をつけずに送信してしまいました。

すると相手から「なんだかそっけないね」と返ってきて、

ささいなことからケンカになってしまいました。

そして「ごめんね」と送ったのですが相手にうまく伝わらずとても大変でした。

 

このことから私が思ったことは2つあります。

一つ目は、便利な情報化社会が人と人との関わり合いを不便にしていること。

私の例で言うと、ささいなことから始まってしまったケンカです。

二つ目は、本当に伝えたい思いは、相手の顔を見て、直接自分の口から伝えること。

「ありがとう」「ごめんね」この2つの言葉は、特に重要だと思います。

 

まとめると、コミュニケーション力を身につけるためには、

友達や家族と会話をすることだと思います。

メールでは分からない表情や気持ちを読み取ることができます。

このようなことがコミュニケーション力をつけるのに大切なことなのだと私は思いました。

――――ここまで――――

 

メールや携帯、インターネットなどの情報技術は、

人間に新たなコミュニケーションの取り方を与えました。

それはいつでもどこでも使える便利さがあり、

同時に、顔と顔を合わせてコミュニケーションをとる回数を減らしもしました。

退職届をメールで届ける人もいます。

彼氏と別れる時に、メールで

「あなたとはもう付き合えない。あなたにはもっとふさわしい人が現れるわ。

今までのことは良い思い出。さようなら。ありがとう」

と書いて送信ボタンを押したら「はい終わり」という人もいます。

 

でもこれって、ちょっと変じゃないかな、と私は思うのです。

中学生のスピーチにもあるように、

想いや大切なことは、相手の顔を見て直接自分の口から伝える。

それは大変煩わしいことかもしれないけれど、手間をかけた分、

想いや大切なことが伝わるのではないでしょうか。

 

私の尊敬するコーチが、ちょっとした、けれど大切な家族のルールをつくっていました。

「夕御飯が必要ない時は、メールではなく電話でママに伝えること」

 

そしてそのコーチに「お子さんにはどんな大人に育ってほしいですか?」

と尋ねると、こう答えました。

「ありがとうを言える大人になってほしい。

だから僕が子どもにありがとうを伝えるようにしている」

 

そのコーチの家族は、私の知る限り幸せそうです。

 

同じことを中学生が考えていると知った時、私は驚き、感動しました!

そして「是非!」と掲載の許可をいただき、ここに書いています。

ありがとう!Yさん!
 

年の瀬も迫り、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私が働いている学習塾では、受験前の緊張感が漂っています。
緊張感だけだとストレスがたまるので、
安心感をベースに緊張感をつくりだすことに気を使う時期でもあります。

今回は、塾では毎年ある「受験校をどこにするのか?」という悩みを
ある学習塾教室長の視点からお話ししようと思います。

**************************

ある学習塾のA室長は、高校受験前にして、一人の女の子Bさんのことで悩んでいた。

入試まであと10日程度。最終志願変更まであと3日。
直前に行ったプレテストの点数から考えると、
第一志望のX高校に合格する可能性は、10%に満たないと予測される。
しかし、可能性は0(ゼロ)ではない。

第二志望のY高校はほぼ確実に合格できるだろう。
この学校に対しても嫌ではなく、まずまず気に入っている。
しかし、「X高校に行く!」と友達に宣言してしまった手前、後に引けない様子。
どちらか1校しか受験はできない。

私立高校の併願をとっているが、「そこは行きたくない」と言う。
いろいろと私立を探して回ったが、Bさん成績で届く範囲では
気に入る学校はなかったので、「保険」として渋々受けたのだ。

プレテストを実施したその日は、Bさんと親御さんと別々に、
厳しい現状と今後の可能性について話しをした。

その日、Bさんは「明日までに考える」と答え、
母親は「第二志望にしても、それから頑張ればいいと思っている」と答えた。
翌日、Bさんと再面談をすることにした。

その日のA室長の日記にはこう書かれている。

----------------------------------------------
それは本当に相手の自由意思に任せていいのかい?
「無限の可能性を信じる」ことは素晴らしいことだけれど、
「1%でも可能性があるのならそれを信じる」ことは素晴らしいことだけれど、
リスクの高いことにチャレンジする相手に、それをするのは、
「無理・無謀」と紙一重だよ。

相手が、すべてを自己の責任で判断できるのならいいんだ。
「自己責任」をとれる範囲での「可能性の追求」なら。
ただ、子どもたちは、すべてを自己の責任で判断できるわけではないんじゃないか?

高校受験をする中学3年生は、まだ15歳なんだよ。
-----------------------------------------------

A室長は、一日中考え続けたという。
今までの3年間のBさんとの関わりを思い浮かべながら。


翌日、A室長はBさんと話をした。
保護者とはすでに話はついている。
結果ありきの面談だった。

1日経って、今の気持ちを聞いた。
すると、
「X高校を受けます!」

この時、A室長の心に衝撃が走った。
「意地」よりも「意志」を感じた。
彼女はいろいろと考えての決断なのだろう。
最悪のことも想定したうえで、その可能性も飲みこんで下した決意なのだろう。

「……、うん。……、よく言った。頑張ったなぁ」

言葉を探る。率直な彼女には、率直に話をしよう。
ゆっくりと、いつもより少し低めのトーンで、A室長は話し始めた。

「よく言ったね。いろいろ考えた結論なのだろうな。
小さくても、ゼロではない可能性に懸けるというのは、
大人でもなかなかできないことだよ。
よく頑張ったから、今回は、ここまでにしないかな?」

Bさんは、表情を変えない。
A室長はさらにゆっくりと、丁寧に話を続けた。

「実は、親とも話し合って、Y高校にするように伝えようと決めて、ここにいるんだ。
Bさんの意思は尊重したいし、Bさんの持っている可能性も信じている。
今、Bさんが“X高校を受けます”と言ったときは、
強い意志を感じたし、私も心が少し動いたよ。
可能性がゼロではないからね。
ただ、テストの結果からは、非常に厳しい」

Bさんは、表情を変えない。
こうなる事を予測していたのだろうか?
A室長は続けた。

「私も迷ったんだ。だから皆に聞いてみた。Bさんにとって最善の選択は何だろうと。
そうしたら、周りの皆は同じ意見だった。
ご両親も塾の先生も学校の先生も、
今まで頑張ってきたんだから、ここは勇気ある撤退をしようと」

Bさんが少しうつむく。

「Bさんの能力は信じている。今も成長しているし、これからもっと伸びるよ。
だから、もしあと1カ月余裕があれば、受かる可能性の方が高いかもしれない。
けれど、実際には、あと10日なんだ」

一息つく。
Bさんは、動かない。

「お母さんと話したんだ。今は、危険な崖に向かっているようなものだとね。
いくら子どもの意志を尊重したいと思っていても、
危険な崖に向かっていく子どもに自分の好きな方に進めと言うだろうか?」

Bさんは首を軽く横に振った。
「それはない」とつぶやく。

「Bさんの決断は間違っていないと思う。
その結果どうなろうと、自分で選んだのだから、
その結果を受け入れる責任感もあると信じている。
同時に、まだ15歳なんだよね。
大人が偉いわけでも大人が常に正しいわけでもないんだけれど、
生きてきた中での経験の差ってあると思うんだ。
少なくとも、受験に関してはBさんは初めての経験だろうし。
だから今回は、
Bさんは勇気を持って頑張ったから、
だから、Y高校にしよう。
逃げではなく、勇気ある撤退として」

Bさんのほおに一筋の涙が通った。

その後、Bさんに今の話を聞いてどう思うのか、感じたのかを聞いた。
すると、少しほっとしたという。
本当は、Y高校に下げたかったけれど、
友達の前でX高校に行くと言ってしまった手前、引けなかったのだと。
不安から解放された安ど感と、悔しさ、やるせなさ、安らぎ、解放感、
などの感情が入り混じり、涙が止まらなかった。

*************************

これは、コーチングではありません。説得です。
しかし、一見一方的には見えますが、Bさんの気持ちに配慮して
優しく語りかけたA室長の言葉は、Bさんに届いたようです。


コーチングでは、相手の可能性に焦点を当てます。
可能性は無限大だと信じることから始まります。
ただし気をつけたいことは、その可能性は、「事(こと)」の可能性ではなく、
「人(ひと)」の持つ可能性に焦点を当てるということです。
Bさんの可能性を信じるなら、
「合格する」という「事(コト)」の可能性ではなく、
「Bさんはどちらを選択しても上手くいく、成長できる」という
「人(ヒト)」の可能性を信じるということです。

私はこのことに気付くのに大変時間がかかりました。
それに気付くまでは、可能性を否定しないという思いが
足かせになることも多々ありました。
A室長、Bさん、ありがとう。


追伸:
A室長のこの判断が正しかったかどうかはわかりません。
むしろ、どの道を選んでも正しいのかもしれません。

ただ一つ言えることは、高校生になって半年も経たないうちに、
「Y高校に入って良かった!」
とBさんが笑顔で話してくれたこと。
その言葉に、A室長は救われた気持ちになったということです。
 



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