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「英単語にそろそろ力を入れていこう」
という話を高校生にした時に、
「今日からやってみます」と答える子と、
「明日からやってみます」と答える子がいる。
もちろん、諸事情があるのだろうが、
「今日から」と答えた子には、そこで褒めておきたい。
「いいねぇ。“今日から”と言ったね。
こういうときって、“今日からやる”という人と、
“明日からやる”という人と、
中には“来週からやる”という人に分かれるのだけど、
“今日からやる”という人は、見込みがあるよ。
決断力が高いからね。」
褒めるチャンスはいつでもどこにでも転がっている。
しかもこうすることで、
「何かを始めるときは今日から」という思考パターンが強化される効用がある。
子ども全体のパフォーマンスが高まるので、小さいけれど、大きな一歩。
いつでもどこでも褒めることは、意識しないとなかなかできないけれど、
意識すればまだまだできること。
これは、最近の私のテーマ。 PR 「衝突することを恐れず、思いを伝えろ」
子どもたちに伝えたいことの一つ。
本当は、衝突がないに越したことはない。
けれど、衝突を恐れて、
自分の想い、考えを相手に伝えないことは、
自分にも、相手にも、何ら与えてくれない。
一歩も前に進めることができない。
ならば、衝突を恐れずに、自分の想い、考えを伝えることを真剣にしてほしい。
若いうちは、角があり、目が粗くて当たり前。
衝突していくうちに、角が丸くなり、目が細かくなっていく。
そのうち、
「和して同ぜず」
というコミュニケーションの取り方を得ていくであろう。
だから、衝突を恐れずに、
自分の想い、考えを相手に伝えていくことを
真剣にしてほしい。
PS:
「和して同ぜず」
私にもまだできないことが多々あります(^^;
バランスが大切ですね。 教師が教師であるために、大切なことは何か?
その答えはまだ分からないけれど、
今、私が考えていることの一つには、
「子どもの味方であること」が挙げられる。
子どもがどんな選択をしても、
子どもにどんなことが起こっても、
子どもの味方であること。
味方であるからには、たとえ失敗をしたとしても受け入れる。
行動は反省させても、存在は否定しない。
味方であるからには、できないこと・苦手なことをあらさがししても意味がない。
敵の短所をあらさがしするのは、生存本能として正しいだろうけれど、
味方に対しては、いかに長所を発見し、それを伸ばし、
お互いを高め活かしていくか、が問われるのではないか。
だから、短所ではなく、長所に着目し、長所を伸ばしていくようにしたい。
味方には誤った方向に行ってほしくないし、
勝負事では一緒に勝利をつかみたい。
だから、味方であるがゆえに、
時に衝突することも辞さない覚悟が必要ではないか。
その時は、苦しくても、つらくても、
その先に、豊満な果実を得ることができるのではないか。
味方であるからには、自分をさらけ出して、
正面から、真剣に、子どもに対峙していくことが大切。
そうすることで、子どもに何らかのインパクトを与え、
心に灯をともすことがあるのではないか。
「成長したい」という本能をもっと活性化することができるのではないか。
そのためにまず私が始めることは、
子どもたちのことをもっと真剣に考えている自分をつくること。
子どもたちともっと真剣に対峙できる自分をつくること。
今まで以上に、もっと、突き抜ける存在であろう。 上手くいかなかったときに自分を責めてしまうあなたへ。
そんなに自分を責めないで。
上手くいかなかったからといって、自分を責めないで。
わかるよ、その気持ち。
自分に対して腹が立つ気持ち。
情けなくなる気持ち。
どうしようもなく、むかむかする感覚。
何かに押しつぶされてしまうような感覚。
そんなに自分を責めないで。
上手くいかなかったからといって、存在を責めないで。
わかるよ、その気持ち。
自分は弱い存在だ。
ちっぽけな存在だ。
大したことなんて出来やしない。
いろいろ感じたり考えたりしちゃうよね。
下に下に落ちていく感覚。
深く深く傷ついていく感覚。
小さく小さくしぼんでいく感覚。
本当にそうなのかな?
あなたの存在が悪かったのかな?
あなたの存在自体が意味のないことなのかな?
間違うことだってあるよ。
失敗することだってあるよ。
上手くいかないことだってあるよ。
そんなとき、行動は反省しても、存在は責めなくてもいいんじゃない。
自分を責めたり、存在を否定しても、何も前には進めない。
上手くいかなかった原因の行動をもう一度見つめなおし、
次に活かすことができれば。
それだけで、
それで充分、
反省になるよ。
失敗も、次の成功を生み出すためのステップになるよ。
この世に生を受けた者たちは、何らかの意味を持って生まれてきた。
そう思う、そう感じるから、あなたに伝えたい。
そんなに自分を責めないで。
行動は反省しても、存在を責めないで。
大丈夫。
行動を反省したら、一回り大きくなっているよ。
前を向いて歩こう。 前回、入試のボーダーライン(合格者の最低得点)を越えれば、必ず合格する
という話をしました。
しかし、ボーダーラインは毎年上下します。
では、どうすればボーダーラインを確実に超えることができるのでしょうか?
▼確実にボーダーラインを超えるには?
もし入試をギャンブル(=賭け事)としてではなく、
ほぼ確実に、合格率を100%に限りなく近づけたければ、
ボーダーラインを越えることを学習目標としてはいけません。
なぜなら、昨年までのボーダーラインに到達したところで、
今年は合格するかどうかわからないからです。
また、過去問演習で到達していても、本番で自分の持てる力を
100%発揮できるかどうかわからないからです。
(ギリギリの状態で本番に臨むと、多くの子供たちは力んでしまい、
自分の持てる力を出せないのが現実でしょう)
ですから、より確実に合格したければ、
ボーダーラインよりはるかに上に、学習到達目標をおく必要があります。
私が目安としてよく使っているのは、
「合格者の平均点」です。
「受験者の」ではなく、「合格者の」平均点です。
例年、合格者の平均点やボーダーラインの上下が激しくなく、
合格者の平均点とボーダーラインの差がある程度開いている場合、
そして、受験する年が例年と同じくらいの競争倍率の場合、
「その年のボーダーライン」が「例年の合格者の平均点」を上回ることは、
ほとんどないと言っていいでしょう。
ですから、「例年の合格者の平均点」を取れれば、
ほぼ確実のボーダーラインを越えることができます。
すなわち、合格率を100%に限りなく近づけることができるということです。
そして私が保護者や子供たちに伝えるのは、
「本当に確実に合格したければ、合格者の平均点を最低ラインとして、
常にそれ以上の点数をとれるような状態を目標として、学習していきましょう」
ということです。
まとめると、
「入試に確実に合格したければ、ボーダーラインを確実に越えればよい。
そのためには、例年の【合格者の平均点】を最低ラインの学習目標として、
常にそれ以上の点数をとれるような状態になるための学習計画を立て、
実行していけばよい。
そうすれば、合格率は100%に限りなく近づいていく。
すなわち、入試はギャンブルではなくなる」
ということです。
わかっている人には当たり前のことですが、
意外とこういうことを考えていない人が多いようです。
それは、子どもだけでなく、塾や学校の先生の中にも。
また、「学習計画を立て、実行していけばよい」とさらっと書いていますが、
実際には、そこが一番難しいところなんですよね。
どんなに計画を立て、やろうという意思があっても、
考えていることと実行することの間には、必ずギャップが出てきますから。
そこについては、また機会がある時に書きますね。
最後まで読んでくださりありがとうございます♪ |
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