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どんなもしもが 君の未来に わりこんでも かまわないさ 僕はずっと 味方さ
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年の瀬も迫り、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私が働いている学習塾では、受験前の緊張感が漂っています。
緊張感だけだとストレスがたまるので、
安心感をベースに緊張感をつくりだすことに気を使う時期でもあります。

今回は、塾では毎年ある「受験校をどこにするのか?」という悩みを
ある学習塾教室長の視点からお話ししようと思います。

**************************

ある学習塾のA室長は、高校受験前にして、一人の女の子Bさんのことで悩んでいた。

入試まであと10日程度。最終志願変更まであと3日。
直前に行ったプレテストの点数から考えると、
第一志望のX高校に合格する可能性は、10%に満たないと予測される。
しかし、可能性は0(ゼロ)ではない。

第二志望のY高校はほぼ確実に合格できるだろう。
この学校に対しても嫌ではなく、まずまず気に入っている。
しかし、「X高校に行く!」と友達に宣言してしまった手前、後に引けない様子。
どちらか1校しか受験はできない。

私立高校の併願をとっているが、「そこは行きたくない」と言う。
いろいろと私立を探して回ったが、Bさん成績で届く範囲では
気に入る学校はなかったので、「保険」として渋々受けたのだ。

プレテストを実施したその日は、Bさんと親御さんと別々に、
厳しい現状と今後の可能性について話しをした。

その日、Bさんは「明日までに考える」と答え、
母親は「第二志望にしても、それから頑張ればいいと思っている」と答えた。
翌日、Bさんと再面談をすることにした。

その日のA室長の日記にはこう書かれている。

----------------------------------------------
それは本当に相手の自由意思に任せていいのかい?
「無限の可能性を信じる」ことは素晴らしいことだけれど、
「1%でも可能性があるのならそれを信じる」ことは素晴らしいことだけれど、
リスクの高いことにチャレンジする相手に、それをするのは、
「無理・無謀」と紙一重だよ。

相手が、すべてを自己の責任で判断できるのならいいんだ。
「自己責任」をとれる範囲での「可能性の追求」なら。
ただ、子どもたちは、すべてを自己の責任で判断できるわけではないんじゃないか?

高校受験をする中学3年生は、まだ15歳なんだよ。
-----------------------------------------------

A室長は、一日中考え続けたという。
今までの3年間のBさんとの関わりを思い浮かべながら。


翌日、A室長はBさんと話をした。
保護者とはすでに話はついている。
結果ありきの面談だった。

1日経って、今の気持ちを聞いた。
すると、
「X高校を受けます!」

この時、A室長の心に衝撃が走った。
「意地」よりも「意志」を感じた。
彼女はいろいろと考えての決断なのだろう。
最悪のことも想定したうえで、その可能性も飲みこんで下した決意なのだろう。

「……、うん。……、よく言った。頑張ったなぁ」

言葉を探る。率直な彼女には、率直に話をしよう。
ゆっくりと、いつもより少し低めのトーンで、A室長は話し始めた。

「よく言ったね。いろいろ考えた結論なのだろうな。
小さくても、ゼロではない可能性に懸けるというのは、
大人でもなかなかできないことだよ。
よく頑張ったから、今回は、ここまでにしないかな?」

Bさんは、表情を変えない。
A室長はさらにゆっくりと、丁寧に話を続けた。

「実は、親とも話し合って、Y高校にするように伝えようと決めて、ここにいるんだ。
Bさんの意思は尊重したいし、Bさんの持っている可能性も信じている。
今、Bさんが“X高校を受けます”と言ったときは、
強い意志を感じたし、私も心が少し動いたよ。
可能性がゼロではないからね。
ただ、テストの結果からは、非常に厳しい」

Bさんは、表情を変えない。
こうなる事を予測していたのだろうか?
A室長は続けた。

「私も迷ったんだ。だから皆に聞いてみた。Bさんにとって最善の選択は何だろうと。
そうしたら、周りの皆は同じ意見だった。
ご両親も塾の先生も学校の先生も、
今まで頑張ってきたんだから、ここは勇気ある撤退をしようと」

Bさんが少しうつむく。

「Bさんの能力は信じている。今も成長しているし、これからもっと伸びるよ。
だから、もしあと1カ月余裕があれば、受かる可能性の方が高いかもしれない。
けれど、実際には、あと10日なんだ」

一息つく。
Bさんは、動かない。

「お母さんと話したんだ。今は、危険な崖に向かっているようなものだとね。
いくら子どもの意志を尊重したいと思っていても、
危険な崖に向かっていく子どもに自分の好きな方に進めと言うだろうか?」

Bさんは首を軽く横に振った。
「それはない」とつぶやく。

「Bさんの決断は間違っていないと思う。
その結果どうなろうと、自分で選んだのだから、
その結果を受け入れる責任感もあると信じている。
同時に、まだ15歳なんだよね。
大人が偉いわけでも大人が常に正しいわけでもないんだけれど、
生きてきた中での経験の差ってあると思うんだ。
少なくとも、受験に関してはBさんは初めての経験だろうし。
だから今回は、
Bさんは勇気を持って頑張ったから、
だから、Y高校にしよう。
逃げではなく、勇気ある撤退として」

Bさんのほおに一筋の涙が通った。

その後、Bさんに今の話を聞いてどう思うのか、感じたのかを聞いた。
すると、少しほっとしたという。
本当は、Y高校に下げたかったけれど、
友達の前でX高校に行くと言ってしまった手前、引けなかったのだと。
不安から解放された安ど感と、悔しさ、やるせなさ、安らぎ、解放感、
などの感情が入り混じり、涙が止まらなかった。

*************************

これは、コーチングではありません。説得です。
しかし、一見一方的には見えますが、Bさんの気持ちに配慮して
優しく語りかけたA室長の言葉は、Bさんに届いたようです。


コーチングでは、相手の可能性に焦点を当てます。
可能性は無限大だと信じることから始まります。
ただし気をつけたいことは、その可能性は、「事(こと)」の可能性ではなく、
「人(ひと)」の持つ可能性に焦点を当てるということです。
Bさんの可能性を信じるなら、
「合格する」という「事(コト)」の可能性ではなく、
「Bさんはどちらを選択しても上手くいく、成長できる」という
「人(ヒト)」の可能性を信じるということです。

私はこのことに気付くのに大変時間がかかりました。
それに気付くまでは、可能性を否定しないという思いが
足かせになることも多々ありました。
A室長、Bさん、ありがとう。


追伸:
A室長のこの判断が正しかったかどうかはわかりません。
むしろ、どの道を選んでも正しいのかもしれません。

ただ一つ言えることは、高校生になって半年も経たないうちに、
「Y高校に入って良かった!」
とBさんが笑顔で話してくれたこと。
その言葉に、A室長は救われた気持ちになったということです。
 

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ある医学生と話をしていた時のこと。
「この間、気がついたら1日20時間勉強していました」

これだけでびっくり仰天。
畏れと興味から聞いてみました。
「え、するとテスト期間の1日平均学習時間はどれくらいなの?」
「18時間くらいかなぁ~」

さらっと言うけれど、こちらはショック。。。
そして、これが約1カ月間続くそうです。
もちろん、そこまで勉強をしているわけではない医学生も、
周りにはたくさんいるそうです。

そこで彼女に聞いてみました。
「そこまで勉強するように自分を駆り立てている原動力って何ですか?」

彼女いわく。「留年したくない!」ことが原動力になるそうです。
その背景には、「高い授業料を払ってもらっている」という
両親への感謝の気持ちなどが大きく横たわっているように聞こえました。


そんな彼女は、毎日日記を書いているそうです。
短ければ5分、長ければ1時間以上時間をとり、自分と向き合うそうです。

どんなに忙しくても、自分と向き合う時間をきちんと取る人は、
自分というものをよく知っていて、
自分の人生の手綱さばきが比較的上手なように、私には見えます。
どうすれば、自分のエネルギーをうまく活用できるのか、
どんなときに、自分の心のブレーキがかかるのか、
どうすれば、それをはずせるのか、
どうすれば、バランスを崩さずにいられるのか、
といった自分の動かし方をよく知っているからでしょう。

また、自分と向き合うことを実行している人は、
「心」が「亡」くなるという「忙」しい状態にはなりにくいようです。
自分の好きなこと、やりたいこと、
大切にしていること、絶対にしたくないこと、
などの価値観をよく知っているからでしょう。
毎日リセットをすることで、混乱が起きにくいことも要因かもしれません。


あらためて、自分と向き合う時間をとることの大切さを学びました。
自分自身に適用することはもちろん、
子どもたちに自分と向き合う場やきっかけを提供したいと思いました。
まずは、「今日はどんな一日だった?」と聞くことから始めてみます。

「行動を始める」「行動を続ける」ことについて書いてみようと思います。
 
「コツコツ続けられない」「三日坊主で終わってしまう」
という人に参考になれば嬉しいです。
 
中3の1月と高1の1月に、2年連続して失敗したことがある。
「日記を書く」という目標だ。
2年連続で3日坊主で終わってしまった。情けない(T_T)
そして、高2の1月に、3度目の正直として挑戦することになった。
 
年末から「今年こそは!」と意気込んでやる気満々。
で、結果はどうだったか?
初日から忘れていたー!!!!(((((((((((o_ _)o コケ
 
1月2日にその事実に気がついた私は、呆然。
けれど、ここで気持ちと思考の切りかえ。
 
転んだら、起き上がればいい。(o- -)o ムクッ
そして、そこからまた歩き始めればいい。(((((((((((( ^_ ^) テクテク
 
それまでは、「日記は毎日書き続けなければならない」という固定観念があった。
コーチングや心理学で言うところのビリーフである。
しかし、初日から書くのを忘れた3年目の私は、
さすがに、本来の目的はなんだろうと考えてみた。
 
当時の日記を書く目的は、それをすることで、自分自身をよく知ったり、
気持ちや考えを整理したり、更なる発見や学びをしたり、
文章力を養ったり、毎日をより充実させたりすること。
 
それを見出したとき、
「初日は書かなかったけれど、今日からでもいいから、とにかく始めよう!」
と日記を綴り始めた。
 
当時の日記にこんな言葉が書かれている。
「気づいてから始めて遅いということはない。
気づいても始めないことこそ、本当に遅いということなのだ」
我ながら、なかなかの出来だと思う(^^;
 
 
因みに、当時の私はコツコツが苦手で(だと思っていて)、
三日坊主に終わってしまうことが多かったのだが、
そんな自分への対処方法も、この頃にレベルが一段上がった。
それというのも、三日坊主の意味を変えたからだ。
 
今から始めて出来るだろうか?
今までに何度も一歩を踏み出せずにいると、頭をかすめる不安。
 
今更、遅いのではないか?
何かを始めようとするとき、頭をかすめる考え。心のブレーキ。
「今更」を理由に、また踏み出さずにいるのだろうか?
 
大学受験のとき、何度、行動していない自分に腹が立ったことだろう。
なかなか始められない自分に、何度ふがいない思いをしたことだろう。
 
ある日、とある新聞の記事に目がいった。
 
60歳の弁護士、医学部で勉強中」
定年を迎えた弁護士が、第2の人生として医者になろうと医学部に入学し、
20歳前後の若者とともに、勉強中だという。
 
小さな新聞記事だったが、当時、高校生の私には、大きな衝撃だった。
60歳を越えてから医者になるなんて考える人がいるなんて!
文系・理系の違いも越えて挑戦するなんて、なんてすごいんだろう!
人生、いろんなことができるんだな。
新聞記事の彼に、人間の可能性の大きさを教わった。
そして、その気になれば、大抵のことはいつでも始められることを学んだ。
 
社会人になった今でも、60歳から医者を目指した弁護士のことを時たま思い出す。
その度に、人間の可能性の大きさと、今から始めることの大切さを思い起こす。
そして、「今更遅いのではないか?」という心のブレーキを外す。
 
時は常に「今」の連続。
とにかくやってみよう!
今から、ここから、できるから。
「いつかやろう」
「いつかやればいい」
 
その「いつか」はいつくるの?
 
心に留めておこう。
「いつか」は決してやって来ない。
 
時は常に、「今」の連続だ。
「いつかやろう」をずっと言い続けても、絶対にその「いつか」はやって来ない。
どこかで、「今、やろう」と決めない限り、行動することはない。
やるのはその時の「今」「ここ」だ。
 
今から、ここから、できるから。
とにかくやってみよう!


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